『ジュラシック・パーク』 動画 スピルバーグ

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こんにちは、
よしおです。

映画『ジュラシック・パーク』は、恐竜好きの僕にとっては忘れられない映画です。

公開が、1993年。

この年の1月に僕は結婚しました。

そして僕は、身重の妻を連れて2回劇場に足を運び、しかも2回目の時は、帰宅後、妻が破水してそのまま産婦人科で出産となったのです。

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『ジュラシック・パーク』

監督:スティーブン・スピルバーグ
原作・脚本:マイクル・クライトン
出演:サム・ニール、ローラ・ダン、リチャード・アッテンボロー
1993年、アメリカ映画

『ジュラシック・パーク』(1993)
『ジュラシック・パーク』(1993)

マイクル・クライトンの原作を特殊技術の粋を結集して映像化した驚嘆の驚嘆の恐竜ワールドです。

マイクル・クライトンの原作を読んだのが、映画の2~3年前だったでしょうか。単行本で上下2冊だったのだのを憶えています。

単行本の帯には、確か映画化決定と大きな文字で書かれていたのを憶えています。
これが映画化?

いったいどんな映像になるんだろうか?

その本を手にして、そして読み進めていくうちにワクワクする自分がいました。

確か、最初に観に行ったときは、珍しく映画のパンフレットを買った記憶があります。

公開の翌年94年夏には、全世界映画歴代興行収入NO.1の位置に駆け登ったのです。
ちなみにその時までのNO.1は、スピルバーグ自身の82年作『E.T』でした。

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『ジュラシック・パーク』ストーリー

ストーリーは、大富豪が最新バイオ・テクノロジーを用いて恐竜をクローン再生し、コスタリカ沖の小島に夢のテーマ・パークを作る。その安全を確認するために古生物学者、古植物学者、カオス理論数学者、弁護士を招き、さらに孫ふたりをお披露目に参加させました。

しかし、恐竜の胚を盗もうとしたコンピューター・プログラマーの陰謀によって、パークの安全管理はズタズタになり、来園者たちは太古の生物と対決することになってしまったのです。

嵐の夜、恐竜の胚を持って、船の乗るため港に急ぐコンピューター・プログラマーのシーンがなぜかドキドキものでした。

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恐竜は『キング・コング』(33年)の昔からSFXファンのアイドル。

以来、ストップ・モーション・アニメからぬいぐるみ、果てはトカゲにメーキャップしたものまでさまざまな恐竜が世界の映画に登場しました。
日本でも、1954年の『ゴジラ』以来、怪獣が誕生し、世界的なアイドルとなりました。

そして、究極の恐竜映画がやってきたのです。

現在のテクノロジーを最大限に駆使した実物大メカニカルとCGによって実現した恐竜はきわめてリアル。

登場人物たちの前に初めて出現する巨大なブラキオサウルスの姿は恐竜ファンならずとも感動ものでした。

続いてトリケラトプス、帝王ティラノサウルス、ガリミマスの群れ、小型だが狂暴なヴェロキラプトルが登場、すべてが驚きの連続でした。

ただ、難を言えば、登場人物たちを追いかけるティラノサウルスの動きが、数年前に公開されたロボコップに登場するロボットのようで、いまひとつ機械仕掛けの印象があり残念でした。

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『ジュラシック・パーク』サム・ニール

ジュラシック・パークにやってきたグランド博士がブラキオサウルスを見上げて感動する姿が印象深いシーンでした。

ティラノサウルスとヴェロキラプトルから逃れ、島から脱出した彼は海鳥の飛翔をいとしげに見るシーンが印象的でした。

これは恐竜の末裔が鳥であるという学説に従い、その説を暗に肯定してのことでしょうか。この場面は彼が恐怖の体験をしながらも恐竜を愛し続けていることを象徴的に示していたのかもしれません。

グラント博士を演じたニールは、48年に北アイルランド生まれ、ニュージーランドで育つ。『オーメン 最後の闘争』(81年)で国際的俳優になるが、いまひとつ印象が薄かったようです。

93年、本作とジェーン・カンピオン監督作『ピアノ・レッスン』の演技で、注目されるようになりました。


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本ページの情報は2020年5月時点のものです。
最新の配信状況は U-NEXT サイトにてご確認ください。
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